政経倶楽部にて、岡田幹彦先生による「山田方谷」でした。
落選中だからこそ、胸に響く、多くの示唆をいただきました。
苦しい日々ですが、今こそ、自分を高めるため、歴史や政策論の学びを、深めたいと思いました。
- [ ] 元武門の生まれ。15歳で両親他界、家業の製油業を継ぐ
- [ ] 23歳で京都遊学、陽明学に触れる
- [ ] 30歳で江戸遊学、佐藤一斎に入門。佐久間象山とともに、“佐門の二傑” 32歳で学頭(校長)
- [ ] 40歳で板倉勝清の侍講。津山藩で砲術を学ぶ
- [ ] 45歳、藩主勝清(27歳)。藩政再建の大任を受ける 現場に出るまで40年間、学んだ 学ぶことを忘れなければ乗り越えられる
- [ ] 10万両の借金を整理にかかる。当時の藩年収は2万両。債権者に窮状と再建計画を説明し、10〜50年の返済延期を要望 「大阪商人の目を抜き取る武士」
- [ ] 節約;自ら減給、接待賄賂禁止
- [ ] 人材登用
- [ ] 殖産興業
- [ ] 農業に頼っていては再建不能。砂鉄がとれることを活かして、製鉄に注力。江戸で直売。4年目にして収入5万両に(!)
- [ ] 紙、漆、竹などの諸産業
- [ ] 農業も新田開発。5年目は年貢を軽減。多くの他藩の改革では苦境だと四公六民→五公五民→六公四民 と増税し、農家は離れてしまった
- [ ] 撫育方で、生産販売を統括。“人民の益をつけレバ藩財政”
- [ ] 藩札整理、新札発行
- [ ] 文武両道、軍政改革;人心の立直し
- [ ] 経済と文武は両行すべし 「財のみ傾くと文すたれる」 経済一辺倒で教育教化をおろそかにすると、国民の精神・人心が荒廃。まさに戦後の日本
- [ ] 武士のみならず、庶民の教育のため、農工商向けの郷校を設立
- [ ] 西洋式軍政を採用 「兵器は彼の長を採り、士気は我が豪による」
- [ ] 1500名の農兵制の創設=奇兵隊の10年前。久坂玄瑞がこれに感嘆し、奇兵隊を発想
- [ ] 8年で借金皆済 やがて10万両備蓄
- [ ] 上杉鷹山の米沢藩再建は30年かかった
- [ ] 方谷の根本方針
- [ ] 財政の収支、金のやりくりをしている限り、再建は不可能。
- [ ] 1、国家の政治の本を立て政道を正す 2、人心を教化しこれを立直し 3、士気を奮い武備を整え治国の大方針を確立
- [ ] 大衆迎合の一時しのぎに走らず、大局に立ち長期的展望を持ち、10〜15年、急がず倦まず困難を乗り越え、不撓不屈の精神でやり抜くこと
- [ ] 理財論
- [ ] 財務省の趣味;増税 しかしあげても赤字は無くならない
- [ ] 事の外に立つ
- [ ] 山田方谷という人
- [ ] 指導者として驕りなき無私の精神
- [ ] 徹底的に、人格修養に40年
- [ ] 誠、みこと=神
- [ ] 尊皇。熱烈な楠公信奉者
- [ ] 歴史上の偉人は、必ず、自分より前の偉人を尊崇している
- [ ] 方谷を産んだ土壌…家庭が立派。いい先生。に恵まれた。その後も京都、江戸に学べた
- [ ] その後…幕臣だったため、新政府には出仕しなかった。惜しかった。
- [ ] 矢吹久次郎、および庄屋ネットワークが、方谷に惚れ込み、貸した。やはり人格
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